屈託のない電話を鳴らせ





 赤城大地は自室でぼんやりと雑誌を眺めていた。
 レポートもテストも目下予定がない。こういう夜の大学生というのは特にやることもないものだと、自分がその立場に立ってみて初めて大地は知った。
 テレビや雑誌や漫画や小説では、いかにも大学生なんていう人種は毎日遊んだりバイトをしたり恋愛したり、あれやこれやで忙しいもののように書かれているものなのに。
 特に自分は趣味もないし、見ている雑誌も読みたくて読んでいるわけではない。無趣味というのは時間をつぶすのに困るな、と大地はこれまたぼんやりと思った。
 と、その時。机の上に置いてあった携帯電話が突然に着信音を鳴り響かせた。


「もしもし?」
「あっ、大地くん〜? げんきー?」
「えっ、なに、突然?」
「あはは、たいちくんだ〜。たいちく〜ん」
「ちょ……っ、どうしたの、酔ってる、もしかして?」

 画面に表示されていた名前どおり、真琴の声がした。この深夜にありえないくらいのハイテンションは間違いなく酔っている。
 きゃらきゃらと真琴の笑い声の後ろでは特に物音もしないけれど、おそらくは声の響き方からして外にいるのだろうと大地は見当をつけた。

「ちょっと。今、どこにいるの? 大丈夫?」
「だーいじょ……あっ! なにす……」
「もしもしー? 赤城くん? ごめんね突然」
「あぁ、ちーさんか。良かった、君が一緒で」

 電話を代わったのは、こちらも顔見知りの女の子だった。真琴とも大地とも、はばたき学園にいたころからの友人である。
 明るく元気があって、どこか無防備で無警戒な真琴と、勉強の出来こそ並程度だけれど性格がしっかりしていて根が真面目で優等生タイプの千草。二人は端から見ていてもお互いの足りないところを補い合っているような、いいコンビに見えていた。
 年は同じだが、真琴は千草のことを時々「アネゴ」とか「姐さん」とか呼んで頼りにしているような節がある。真琴に代わって電話に出たのはその千草だった。

「どうしてもまこが電話するって言って聞かなくてさ。深夜にごめんね」
「いや、それはいいんだけど。起きてたし」
「それならいいけど」
「で? どういうことなのかな。大体想像はつくけれど……」

 後ろの方から真琴の何か言っている声が聞こえるが、なにを言っているのか聞き取れない。
 大地は赤茶の髪をくしゃくしゃとかきまぜ、眉間にしわを寄せた。

「たぶん予想通りだと思うよー。今日ね、友達同士で合コンしてたのよ。あ、相手は二流大のテニスサークル?」
「ちーさん、ちがうよ〜、スポーツ観戦サークルだよ〜」
「あぁ、そうそう。……って、そういうところは酔ってても覚えてるのねー、まこは」
「えへへへ〜」

 褒めてないし。こんなことでのんきに嬉しそうな声なんか聞かせないでほしい。
 大地は受話器の向こうの千草に聞かれるのも構わずに大きくため息をついた。
 電話の向こうでいま千草と真琴はどこにいるのか、大地は想像しようと思ったけれどそれは無理な相談だった。

「それで? 収穫はあったの?」
「あのねぇ、大地くん。聞きたくもないこと聞かないでよね。大体あったらこんな時間に大地くんに電話しないでしょ」
「ごもっとも。まこ、だいぶ酔っているみたいだけど今どこにいるの? 帰り、大丈夫なの?」
「ソレなんだよねぇ、問題は」

 ぶぉん、と電話の向こう側でクルマが通り過ぎる大きな音が響いていた。
 大通りにいるのならいいけれど。タクシーなんかもいるだろうし。

「今いるのはアタシの家の近くなんだけど、まこ一人じゃ帰れないと思うんだよね」

 電話の後ろで「一人で帰れるよ〜」と真琴の妙に間延びした声が聞こえるが、とりあえず大地も千草もその声は無視する方向で考える。

「アタシの家に泊めてあげてもいいんだけどさ。ぶっちゃけカレシいるし」

 カレシがいるのに合コンには参加しますか。
 そういうのを聞くにつけ、世間一般の男性たちは心が広いもんだと大地は思う。
 俺はそういうの……耐えられそうにないんだけど。しかし、束縛する男というのは大いに嫌われそうだな。
 どうでもいいことを考えながら、千草に返事をする。

「そう」
「この辺、夜になるとタクシーも走ってないしさ。まぁ、仕方ないから泊めてあげようかなって思ってるんだけど。大地くん、どうする」
「どう、って……」

 彼女は一人暮らしでしょう。迎えに行ってもいいけれど、そのあとどうすりゃいいのさ。
 正直にそう言うと、今度は千草に盛大にため息をつかれてしまった。

「そういうとこが、大地くんだよね〜。とりあえず、引き取りに来てよ。そのあとのことはその時考えたら?」









 だいたいさ、合コンに行ってどうして女の子が二人で帰ってくるって言うんだよ。男はどうしたんだ、男は。
 ぶつくさと大地は見も知らない合コン参加の男たちに向かって文句を言う。
 二流大のなんちゃらサークルの奴らだって言っていたな。大地自身は二流大学に行ったこともないので様子も分からないし、サークル活動もしたことがないのでそちらの方もどういう様子なのか想像もつかない。
 それにしたってまこのこと袖にするとか、目がおかしいんだろ。

(……まぁ、そのほうが好都合だったからいいけど。むしろ好都合だけど)

 大事なことは二回言ってから、大地は何度目か分からないため息をまたついた。
 すでに泥酔のレベルに入ってしまった真琴は、急いで迎えに来た大地の押す自転車に座ってふらふらとたまに船をこいでいる。
 二人乗りなんてとても無理なので、真琴をサドルに座らせ、ハンドルを掴ませて、大地はその自転車を押して歩いていた。
 一瞬、なんで自転車で来てしまったのかと後悔したが、原チャリに乗ってくるよりはマシだったし、一刻も早く迎えに行った方がいいという焦りで大地の判断力もそれくらい鈍っていたのかもしれない。
 黙っているとすぐに意識を手放してしまいそうな彼女に、大地はせいぜい声をかけることくらいしかできなかった。

「おーい。お琴さん。俺、君の家知らないんだけど? ちゃんと案内してくださいよ」
「うーん、喋るの面倒くさい……」
「ちょ、面倒とかじゃなくてね、頼むからちゃんと起きて」
「え〜。もう、大地くんのお家でいいよ〜。あぁ、それがいいね〜」
「なんで一人で納得してるんだよ」
「だってさ〜。大地くんが連れてってくれるんでしょ、いいじゃない〜」
「ダメだっての。俺が君んちに行くのだってだいぶダメなんだからな!」
「うにゃ〜〜、いいじゃん、いいじゃん〜」
「もう……」

 まったく。俺の気も知らないで。
 なんだって、彼女は何の気もなくこう俺のことを惑わせるんだろう。問題なのはこれが今日に始まったことじゃないってことだ。そして、真琴の場合相手が大地だけではないというのも大問題だ。

 普段から仲良くはしている。真琴は明るくて、いろんなことに興味を持つ好奇心が旺盛で、そして誰からも好かれる。真琴もまた、男も女も実に大勢の友達(知り合い?)と交友関係を持っているようだった。
 大地は、そんな真琴のことをずっと見ていた。単なるクラスメイトだった時から、今こうしてただのクラスメイトとしては見られなくなってからも。

 見ていることだけしかできないのだった。
 

 きっと、今日のことだって俺に電話をかけてきた理由なんてなにもないんだ。ただ単に、きっと、ケータイの発信履歴の一番上に乗っていたとか、そんなもんだろう(実際、昼に彼女から今日の講義が休校になった旨、電話がかかってきていたから、その想像はやけに真実味があった)

 そして、せっかくの大チャンスなのにきっと俺はまた、なにもできないで、弟に笑われるんだ。

 恋愛って、一体どうしたらいいんだろう。大地は自分の感情をもてあましていた。

「あっ。ほら、寝ないで! 起きて!」
「うぅ〜ん……」
「頼むから、しっかりしてくれよ」

 気づくとハンドルに寄り掛かるようにして真琴が眠りかけていた。
 大地は慌てて声をかける。
 この温度差。俺が逆の立場だったら絶対に居眠りなんか出来そうもないぜ。





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2009/11/25 修正UP

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