伝わらない想いを告げろ





 結局、昨晩は酔っ払いと化した真琴を彼女の部屋まで送って帰ってきた。
 酔っているとはいえ、女の子の一人暮らしの部屋にそうそうあがりこむのは良くないと大地は思ったのだけれど、当の本人が「帰っちゃやだぁ〜!」と大声でわめいたのだから仕方がない。
 散々騒いだ揚句、唐突に彼女は眠ってしまって、それでようやく大地は帰ってくることができたのだ。



「頭痛いよー、次の授業も出なきゃいけないんだけどしんどい〜」

 翌日。
 真琴はぐずぐずと大地に文句を言い募る。あれだけ酔えばさすがに二日酔いくらいにはなるだろう。大地自身は付き合い程度にしか飲酒はしないことにしているので、ここまで酔ったことはあまりなかったけれど。
 それよりも実は大地が気になっていたのは彼女が参加したという合コンのほうだった。
 いつの間にそんな約束をしていたのだろう。もちろん、彼女の行動を一つ一つ監視しているわけではないし、そうする権利もない。だから、大地の知らないところで彼女がどういう飲み会に参加していようと、そこで何が起ころうとも大地はなにを言うこともできないのだ。
 どうやらいちばん最悪の事態は避けられたようだったけれど、何かが起こってからでは遅すぎる。

 真琴自身もそうだし、もちろん大地にとっても。

 そう、大地は彼女に対してまだ何も言えていないのだから。

「あんなになるまで飲むからでしょ。そんなに楽しかったの、昨日の合コン」
「飲まされたの! 私、あんまり飲めないって言ったのに……。でも、友達の紹介だから、感じ悪くなっても悪いしさ」

 そんなもの、行かなけりゃいいのに。
 大地は身勝手にも思った。自分だったら、きっと断っていただろう。見も知らない人と食事をしたり酒を飲んで話をしたとしてもきっと面白くもなんともない。
 大地ならば、もっともらしい理由を作り上げて相手と気まずくなることもなく穏便に断ることができた。
 けれども彼女は根っからの交流好きで、初対面の男とも女とも誰とでも仲良くなれてしまう。だから、なのかどうかは知らないがコンパや飲み会というイベントが大好きで、誘われると断るということをしない。

「ゴハンは美味しかったよ! お店が良いところだったの。でも、何話したかはあんまり憶えてないや」
「ふぅん」
「なんであんなに酔っちゃったんだろうな〜。いきなり白ワインが悪かったのかな〜」

 しきりと反省の言葉を述べている真琴の様子を見て、とりあえず一安心する。
 しかし、のんきに合コンなんかに行かせている場合ではない。何かしなければと気ばかりが焦るのだけれど、具体的にどうしたらいいのか。大地にはそれが分からない。
 唐突にぱちん、と彼女が手を打った。顔を見ると、やけに嬉しそうに輝いている。

「そーだ! 今度大地くん、一緒にゴハン食べに行こうよ! あのお店に」
「えっ、俺? な、なんで俺が一緒にゴハン食べにいくことになるの?」
「えー、べつに。いやならいいよ? 他の子と一緒に行くから」

 真琴は口をとがらせてから、「やっぱり頭痛い」と顔をしかめた。

「あっ、じゃあ、ゼミの先輩誘ってみようかな、おいしいイタリア料理のお店探してるって言ってたし」

 彼女のノリはひたすらに軽い。どう見ても大地のことを気の置けない友人としか思っていないような口ぶりだった。
 そんなことは分かっている。今に始まったことではなく、また大地自身がそういうポジションでいられるようにふるまってきたというせいもある。
 特別な女の子として見ている、という感情を上手に押し隠した大地の行動が実を結んだ結果でもある。皮肉なことに。

 だからこそ、真琴は一人暮らしの部屋に大地を気易くほいほいと上がらて、その上、その目の前で気楽にぐーすか寝られるのだろうし、今もこうしてその男の目の前で簡単に「二人でゴハンを食べに行こう」などと誘ったりできるのだろうけれど。
 真琴はカバンからケータイを取り出して、目当ての名前を探し始めた。
 彼女の言っている先輩というのは大地も何度か会ったことがある男で、真琴が所属しているゼミの先輩だということだった。
 二人が話している様子はどう見ても彼女に気があるようにしか見えず、大地としては見ていて気が気ではなかったことだけを覚えている。
 そして、それ以上に大地の焦りを増幅させたのは、彼と話をしている真琴が妙にうれしそうに見えたことだった。

「あれ……? 先輩出ない。忙しいのかなー?」

 真琴はしばらく受話器を耳にあてていたが、やがて諦めてぱちんと携帯を閉じた。
 そんな彼女を見ながら、何かわけのわからないものが自分の中から駆けあがってくるような感情を大地は感じていた。
 こんなこと、今までなかった。今まで、真琴を見て、彼女のことを考えているときは幸せなばかりだった。それはとても気持ちがいいことで、なかなか前に進んではくれない自分の恋愛だけどそれはそれで大地は少しばかり楽しいと思っていたのだ。
 けれども今感じているものはとても暗くて、黒くて、とても恋愛についてポジティブには考えられそうもない。
 その黒いものを吐き出そうとして、大地はこう言っていた。

「お琴さん。男なんだよ、先輩は。二人でゴハンに誘うってどういう意味かわかってるの?」

 けれども大地の言っていることは彼女には伝わらなかったようだった。「そんなことないよ! だって先輩だよー? 大地くん心配しすぎだよー」 と軽く笑われて、少しばかりイラッとした。

「大地くんも先輩のこと知ってるでしょ? それに、大地くんとだって行ったことあるじゃない、ゴハンとか、映画とか」
「え……っ」

 その一言で、自分と彼女の間の温度差が分かる。
 それは分かり切っていたことだけれど、やはりこうして目の前に突きつけられると、そして先輩とも大地ともまったく同じように考えているという証拠をこうも見せつけられてしまうといくら大地でもつらい。
 友達でしかない。まこにとって俺はひとかけらも特別な存在じゃないのかよ。

「先輩とだって、大地くんとだって同じでしょ?」
「同じわけない」
「えっ? そうなの……?」
「俺は君と同じ気持ちで一緒に遊びに行ったことなんかないよ。……言ってる意味、わかる?」
「同じ気持ちじゃないってどういうこと? ……別に、楽しくなかったっていうこと?」

 彼女の瞳が揺れる。それを妙に冷静な気持ちで大地は見つめていた。
 とんでもないことをしているという自覚はある。けれど、止められない。どうしてまこは分かってくれないのだろう。

「そうじゃなくて! 俺はね、君と一緒にいるとき、君のことを、友達だと思ってたことなんかないっていうこと」

 たしかに俺は今までまこに何も伝えてはこなかった。
 自分自身が望んでいたことでもある。好きだと言って、今の心地いい友情を粉々にするよりは今のままで。そう望んだ。
 だけど。それでも俺はまこにとって一番じゃないにしても、なにか……少しでも特別だと思われていたかった。そうだとうぬぼれていた。
 大地は、もう何年も前から真琴のことを友達だなんて思ってはいなかった。そんな風には思えなかった。

 だって。俺は君のことを。

 けれども大地が言おうとしたセリフは真琴の涙交じりの声に遮られてしまった。

「なにそれ、酷い……! 私はずっと大地くんのこと、友達だと思ってたのに! 中等部からずっと一緒で……何でも話せる親友だって思ってたのに!」
「親友、って思ってくれてたのは嬉しいけど。でも」
「どうして? 今までずっと仲良しだったのに、どうして急にそんな事言うの? わからないよ」

 なんでわからないんだよ。逆にこっちが聞きたいよ。
 どんどんと感情的になっていく真琴に対して、大地は自分でも驚くほど冷静だった。
 感情が高まって思わず言ってしまったけれど、逆に言えばこうでもしないときっかけなんかつかめなかったのかもしれない。

(もうちょっと、ロマンチックなシチュエーションで、とか想像してたのにな。ケンカの延長線でだなんて、俺たちらしいのかもしれない)

 大地が覚悟を決めて大きくため息をつくと、先に彼女のほうが口を開いていた。

「もういい、大地くんなんて、もう知らない! 大地くんのばか! だいっきらい!!」



「だって、君のことが好きだから」と言おうとして口を「だ」の形に開いたまま、大地は茫然として走り去っていく彼女の後姿を見送った。

 そのまま道路の角を曲がった真琴の背中が見えなくなるまで見送ってから、大地の言った言葉は、言おうとしていた言葉とは全然ちがっていた。

「だいっきらい、だってさ……はは、そりゃそうだ」







2009/11/02 ブログUP
2009/11/25 修正

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