認めたくない言葉は忘れろ
「もうやだ……、泣きたい。頭痛い。授業でたくない」
真琴は机に突っ伏してぐずぐずとしゃくりあげていた。
「まこー。どうしたの?」
「なにかあった?」
友人たちが何かと声をかけてくるけれど、返事もしない、いや、したくない。真琴は顔も上げない。
泣きたいというかもう既に泣いていた。真琴は泣くのはあまり好きではなかったけれど(好きな人なんて、いると思う?)こういうときくらいは泣いてもいいと思う。
(信じらんない。大地くんなんて全然分からないよ)
やがて教授が入口から入ってきて、教壇に立っていつものように授業を始めたけれど、真琴はやっぱり顔を上げることができなかった。
どうしても出なくてはならない授業だったから、教室に来たは来たけれど、どうせこんな状態なのだったら来なくても同じだった。
何かと同じ授業が多い大地と、同じではなかったことだけはかろうじて幸運といえるかもしれない。
赤城大地は中等部からの友人だった。クラスメイトの中では飛びぬけて頭が良く、それと同じくらいに顔も良かった。
真琴自身は大地のルックスに関しては特に動向という感想を持っているわけではなかったけれど、むしろ顔がいいから付き合っているわけではなく中身が友人としてとても好感が持てたから、だから今までずっと仲良くやってこれたのだと思っている。
大地は女子に対しても男子に対しても同じようにマイルドな人当たりで(それは悪く言えば八方美人ともとれるほどだったけれど)常にクラスの中の人気者だった。
なにをきっかけに大地と仲良くなったのかは、実はもう覚えていない。
けれども真琴にとって大地は何でも気軽に話したり相談したりできる気の許せる友人だった。困ったときに頼ればなんだかんだといって助けてくれたし、みんなで遊びに行こう、といえば彼も必ず一緒にいた。
高校を卒業しても大地と同じ大学に進めると知ったときは素直に嬉しかったし、秀才といわれる大地と同じ学校に進学できるくらいには勉強をがんばっていてよかったと、それまでの苦労が報われた気さえした。
卒業してそれじゃバイバイ、と別れるのはあまりにも惜しいと思ったし、そんな簡単にサヨナラできるような間柄ではないと思っていた。
友達だと思っていた。なんだって話せる親友だと。そして大地もそう思ってくれていると信じていた。
けれど、どうやらそう思っていたのは真琴ひとりだけだったらしい。
―― 俺は君と同じ気持ちで一緒に遊びに行ったことなんかないっていうことだよ
―― 君のことを、友達だと思ってたことなんかない
―― 俺は君のことを友達だとは思えないよ
大地の言葉が何度も何度もリフレインする。
このとき、大地はどんな顔をしていた? 忘れられたらどん何か楽だろうと思う。それなのに悲しいことにそういうことだけはしっかりと覚えているのだ。
大地は、いつもと変わらない顔をしていた。まるで「今日はいい天気だね」というのと同じような。
ひっく。
大地の顔を思い出したらまた泣けてきた。
「まこー。元気出しなよー」
真琴が大きく肩を震わせると、隣に座っていた女子学生は心配そうに彼女の背中に手を置いた。
いつも元気で、悩みなんかなさそうで、みんなの中心になって率先して遊びまわっている。
机に突っ伏したままの真琴にはイマドキの女子大生の典型のような普段の面影はない。
こういうときに、どこで泣いたらいいのか真琴は知らなかった。……大地の近く、そこ以外には。
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結局のところ、「なにもなかったことにする」それ以外に方法が思いつかなかった。
「友達だとは思えない」という大地の発言についてはとにもかくにも釈然とはしなかったのだけれど、だけどそれを改めて大地に問いかけ、どういうことかと説明を求めることは真琴には出来ない。
大地くんは仲のいい友達。
困ったときにも楽しいときにも、いつもそばにいて助けてくれる安心できる人。
その大地を自ら手放したくはなかった。
少なくともうやむやにしておけば大地は今までのポジションでいてくれる。ずるいのは分かっているけれど、そうすれば今までの心地いい関係をなくさないでいられる。だから、これでいいんだ、きっと。
長い付き合いだから分かるのだ。大地くんはイヤだとかこうしたくないとか、拒絶の言葉をあまり口にしない。
わたしがこうしたいと言えば、いつも「仕方ないね」言いながら笑ってついてきてくれる。
……だからこそ、あの時聞いた「トモダチなんかじゃない」は余計にショックだったのだけれど。
ずるいのは分かってる。いやな女になってるとも思う。
(ごめんね……大地くん)
冬物のバーゲンがもうすぐ始まろうとしていた。真琴は「いつものイベントはじまるよ! いくよ!」そう言って放課後に大地をバーゲンショップが軒を連ねるショッピングモールに連れ出してきていた。
もう何度もこうして季節の変わり目には大地と一緒に出かけている。
もちろん、女の子と一緒に買い物をするのは楽しいし、そうすることのほうが多い。
けれど、なんといっても大地と一緒に来ると荷物を全部持ってくれるからとても楽なのだった。
今日も、大地は真琴の買った洋服が入った洋服が入ったショップバッグをたくさんぶら下げて、隣を歩いている。
時間はそろそろ夕方から夜にさしかかろうとしている。冬の日は落ちるのが早く、外の景色はすっかり暗くなっていた。
真琴は歩きながら、なんとなくいつものように謝罪の言葉を口にした。
「いつもつき合わせちゃって悪いとは思ってるよ?」
「別に。買い物なんかしないのに散々引きずり回されることにはもう慣れてますよ」
「だから、夕飯おごるって言ってるじゃない」
「まぁ、いいですけどね。荷物持ちくらいはいつでもしますよ、お嬢さん」
「ありがと」
大地の言うとおり、一緒に歩いていても彼は通りに並ぶ店で売っている最新のファッションやアクセサリーには何の興味も示さないようだった。
それは高校のときからずっと同じなので、そういう人なのだとは思っていたけれど。
「……あっ、あれ、見て。大地くんに似合うと思う」
「どれ?」
ショウウインドウに並ぶマネキン人形を大地は興味深げに見る。「ふぅん。君も知ってるとは思うけど洋服のセンスなんてあるほうじゃないからな、俺は。よく分からないけど」そう言いながら振り返った顔はなんだか楽しそうに見えた。
「君が見立ててくれれば俺のセンスも少しはマシになるだろうね」
「そうだねー。大地くんって、いつもどこで服買ってるの?」
「え? その辺のスーパーとかだけど……」
「ぎゃーーーっ!! どうしてそういうことするの! ちゃんと服選びなさい! まず手始めにこのお店、入ろう!!」
「え、うわっ、ちょ……」
真琴が買った服が入った紙袋をぶら下げている大地の腕をグイっと引っ張って、引きずるように店の中に入っていった。
店内は明るく、軽い音楽が流れていて、大地と同じような年かっこうの男の子たちが何人もいて、並んでいる服を眺めている。
男の子の洋服を見るのって初めて。真琴は興味深げにきょろきょろと周りを見回してから、「こっち」とある一角に大地を連れて行った。
「ちょ……こういうところ、慣れないんだけど」
「誰だって最初は慣れてないんだよ。何度か経験すればどういう感じか分かってくるって」
「そういうもんかな……」
「あっ、ほらほら、これなんかいいんじゃない?」
あれこれと服を手にとっては妙な顔をしている大地の身体にあてがってみる。
これは似合うよ。この色はだめ、大地くんには似合わない。たまにはこういうのに挑戦してみるのもいいんじゃない? やっぱり大地くんはこうだよね。
「おかしくない? こんな服いつ着るんだよ」
「……普段だよ。学校に着て来なよ」
「学校にこんな気合入れていく必要なくない?」
「気合入ってないの、普段着だからね、これ」
「そうかぁ? なんか……カッコよすぎないか?」
「いいんだよそれで。これが普通だって!」
これでいいのかな。上手にトモダチになれてるかな。
「俺は買い物に来たつもりじゃなかったんだけど」
「いいのいいの。ねっ、これ、すごく似合うから」
いつもあまり表情が変わらない大地の腕の中に何枚かの服を押し付けて、真琴は「買ってきなさい!」と言って笑った。
服を抱えてレジのほうへ向かってい歩いていく大地の後姿を見送る。
わたし、上手く笑えてたかな。あまり自信はなかった。
2009/11/23 ブログUP
2009/11/25 修正