ぎこちない笑顔を作れ





 一通りの買い物が終わって、最後に約束通り真琴は大地に夕食をおごることにした。
 真琴は一瞬、最近見つけたばかりのイタリアンが美味しかった店に行こうと思いたち、しかしその店が例の大地との言い合いの原因になったことを思い出して慌てて違う店に変更した。

(あんなふうに喧嘩になったのに、それをすっかり忘れちゃうなんて、どうかしてる)

 普段どおり過ぎる様子の大地と一緒にいると、安心しすぎてとんでもないことをしでかしそうになる自分に少し驚く。
 だって、大地くん、あんなことがあったことを忘れちゃうくらいに普通なんだもん。
 あのときのこと、どう思ってるんだろう。
 思い出してしまうと気になる。気になるけれど、触れたくない。
 どこかのお祭りだか儀式だかで、呪文を唱えていれば火の中でも針の上でも裸足で歩けるとテレビで見たことがあるけれど、今くらいその呪文が知りたいと思ったことはない。
 大地はとても優しくて、一緒にいるととても居心地がよかったはずなのに。どうしてこんな風になっちゃったんだろうと考えるとなにも知らなかった頃に戻りたいと、真琴は切実に願うのだった。

 そんなこんなでやってきたのは大学にも近いおしゃれな居酒屋だった。
 学校の近くにあるだけあってメニューはどれもやすく、学生の財布に優しいけれど、店の雰囲気も内装も現代風で少しだけ高級感が漂っている。
 というわけでその店は一流大学生たちに人気のある使いやすいお店になっていた。

「今日はわたしが奢るからね、何でも頼んでいいよ」

 席に通されたあとそう言って、真琴はいきなりファジーネーブルを注文した。それと、つまみにもなりそうな軽食を何品か。
 てっきり食事をしてそれで今日は終わりかと思っていた大地は少し驚いた。

「飲むの?」
「飲むでしょ? あれ、大地くん飲まないつもりだった?」
「うん、まあ……」

 君の酒癖のよくないのは知っているし。食事だけだというから奢られることも了承したのに。酒が入るんだったら、無理にでも金を渡さないと俺の面子ってものもある。
 だいたい、弱いくせに好きだというのがたちが悪いよな。大地は「それじゃあウーロンハイ」と無難に選択してから真琴には気づかれないようにため息をついた。
 いや。たちが悪いのはどっちのほうだ。少しばかり自嘲気味に思い直す。
 あのときのことをめちゃくちゃ気にしているくせに確かめることも出来ない。まるでなかったことのように振舞われて、自分のなけなしの勇気と振り絞った気持ちさえもこの鈍感で天衣無縫な女の子は華麗にスルーしようとしているのかもしれないのに。

(それでも、まこがこうしたいと望んでいるのなら、俺はまこの望むとおりの男になってやる)

 幼い頃からずっと「みんなのまとめ役」で、「クラスの中心人物」で、「大地くんに任せておけば大丈夫ね」と言われ続けてきた大地は、周りの空気を読みすぎるところがあった。
 そして、場の空気を保つためならば自分の気持ちを押し隠してしまう性格はもう十何年にもわたって形成されてきた大地のアイデンティティにすらなっていて、いまさら変えることなんか出来そうもなかった。
 たとえ、そのせいで好きな女の子に好きだと告げることが出来なくなったとしても。



 なんとなく二人は飲み始めて、それでもアルコールが入れば口もなめらかになる。
 真琴は大好きな(そりゃあ、何度も一緒にこうして飲みにも行っていれば彼女の好みくらいは把握できる)サーモンのサラダを一口食べて、おいしいおいしいとやけにはしゃいでいた。

(相変わらず酔いが早い子だよなぁ)

 大地自身は自分のペースを守っているので真琴ほど酔ってはいない。少なくとも自分ではそう思っている。
 四杯目のウーロンハイはなんだか今までのものよりやけに濃いような気がした。(たぶん、バイトが作っているのでムラがあるのだ、こういうところのアルコールは)
 なんとなく大地は切り出していた。大分酔いも回っているみたいだし、多分しらふの時ほど酷いことにはならないだろう、そんな計算をしている自分が少しばかりズルイ様な気がした。

「結局、先輩とあのイタリアンのお店には行かなかったんだ?」
「うん。連絡取れなかったし。それに、もういいお店見つけたんだって」

 そう。それならいいけど。

 あまり蒸し返したくはなかった話だけれど、どうしても確認したかった部分でもある。大地はその答えを聞いてひとまずは安心した。
 けれど、真琴のことだから、これで将来までずっと安心というわけではない。真琴が男子の間では密に人気がある
ことはイヤと言うほど知っているし、これまでの前例もある。
 ほかの男に取られるのが嫌だったら、自分のものにすればいい。さっさと告白して、長年の苦しみから抜け出せばいい。
 そんなことは分かっている。大地だって馬鹿ではない。
 けれども、どうしてもそれができないのも大地だった。

 バカみたいに、ずっとずっと思い続けてそばにいるだけで。それだけで思いが伝わるのだったら誰も苦労はしない。

 大地は苦いほどに感じる濃いウーロンハイを飲み干して、お代わりを頼もうとベルを鳴らした。

「おおー。大地くん、イケる口だね〜。どんどん行こう〜」
「うん。次はウーロンハイやめるよ。なにがいいかな」
「わぁ。めずらしいじゃない。えっとね、じゃあね。なにがいいかな〜。大地くんの酔ったところ、見てみたいな〜」
「そう簡単には酔いませんよ、俺は」

 真琴は面白がってドリンクメニューを眺めている。
 飲み会に行っても合コンに行っても、大地は涼しい顔をしてウーロンハイばかり飲んでいて、ほとんど酔ったところを見たことがない。
 いつも酔いつぶれた女の子を介抱したり(主に自分のことだけど。それくらいは覚えている)、終電を逃がした友達やらの宿泊先を探したりというのは大地の役割だった。
 大地が参加している飲み会は、だから安心して真琴も楽しく飲むことが出来たのだ。

(そんなこと分かってる。いつもいつも、大地くんがいたから、楽しかった)

 だけど、「君の事を友達だと思ったことはない」という大地は今までどういう気持ちでそれに参加していたのだろう。
 じゃあ、どうして今日誘ったときに断らなかったんだろう。
 真琴には分からない。考えたこともなかった。

「それじゃあ日本酒にしよう〜〜! 美少年!びしょうねん!」
「ちょ、無理……! 身体も無理だし、財布的にも!」
「いいじゃない〜、今日はおごりなんだからさー」
「黙って奢られるわけにはいかないでしょ、ここまで飲んだら」
「いいってことよ〜! あたしの酒が飲めないのか〜〜」
「……まったく」

 だから、楽しく笑って誤魔化してしまう。そのことが大地にどんな気持ちを抱かせているかですら、真琴は気がつかない。
 あはははは、と酔いに任せて真琴は笑った。

 楽しくて笑ってるの。面白いから笑ってるのよ、わたしは。








2009/11/25

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