光の射さない道を選ぶな
避けられている。
まぎれもない事実だった。
(やっぱり、一度ならず二度までも問い詰めたのはまずかったんだ……よな)
―― 友達だと思ったことがない
とうとう真琴に言ってしまった。二回も。
今までずっと、うまいこと隠してこれたのに。どうして最近こうも自制がきかないんだろう。いろいろ、限界なのかもしれない。
いつまでもいろんなものを隠し通すには、時間が長すぎた。
それにもまして、予想外だったのは自分の感情で。
(友達だって何度も確認されて、いつもそう思いこんでいたら、いつか本当に友達だと思える日が来ると思っていた)
中学生だった自分は、将来について非常に認識が甘かったとしか言いようがない。
あの頃の自分に一言声をかけることができるとしたら、「俺はそんなに単純じゃないぞ」とでも言ってやりたい気分だ。
友達だと思うどころか、月日がたつごとにこの気持ちは大きくなっていって、ついには自分のコントロールまで効かなくなってきたではないか。
とにかく。
あれ以来すっかり真琴には嫌われているらしい。顔を合わせてもぎくしゃくとした挨拶しか返ってこないし、電話やメールはもちろんない。二人で遊びや食事も論外だし、みんなで毎年やっている誕生会にも不参加だと言いだした時にはさすがにショックを受けた。
それでも、自分から真琴に問いただす気になれないところが、赤城大地の赤城大地たるところだ。
―― 大地くんもそろそろはっきり言わないと、あの子分かんないよ、わかってるでしょ?
……分かってるさ。
分かってるけど、身体が動かないんじゃないか。
アルバムの中の真琴は笑っている。自分も隣に写っている。
もしこの頃に戻れるんだったら、俺は真琴を好きにはならない。
(……無理だな)
そんなこと、できっこないのは自分がいちばんよく分かっている。
**
「なにあれ。ウザいんだけど。……部屋の中、いや家中が湿気るよ」
赤城一雪はコキコキ、と凝った肩を伸ばしながらリビングに下りてきた。
リビングと続き部屋になっているキッチンで夕飯の準備をしていた母親がくるりと振り返る。
「ユキちゃん。そういう風に言っちゃあかわいそうよ。大ちゃんだって悩んでいるんだから」
「でもさぁ。いくら悩んでるからってあんなふうにキノコみたいに部屋に閉じこもったられちゃあうざったいよ。なにがあったの」
「それが、お母さんにはなにも教えてくれないのよ」
こういうとき、男の子ってさみしいわねぇ。悩みも打ち明けてくれないんだもの。
母親はなにか含みを持たせた風な目で一雪のことを見ていたけれど、それには気がつかないフリをしておいた。ちょっと前の自分の恥ずかしくもだえていたサマなど、思い出したくもない。
「ちょっと、もう一度行ってからかってこようかなあ」
一雪がさも面白そうな様子で言って立ち上がると、母親はたしなめるようにその背中に声をかけた。
「ユキちゃん。あまり大ちゃんをいじめないのよ?」
「分かってる分かってる。すこし、現実でも認識させてやるだけだよ」
「そろそろお夕飯だから、一緒に降りてきて頂戴」
「はーい。わかりました」
自分だって高校のときは三年間もの長きに渡って夢みたいだとか奇跡のようだとかいわれる絵空事に現を抜かしていたのだが、そんなことは山よりも高い棚の上に上げて、一雪は大地の部屋のドアをノックした。
**
「大地、入るよ」
返事も聞かずに一雪は部屋のドアを開けた。
二歳年上の兄は、小さいころから一雪の目標だった……というわけではない。
ことあるごとに似ていると言われる兄弟だけれど、本人たちはそう思ったことはない。どちらかというとその場の雰囲気に溶け込んで角を立てず丸く収めようとしがちな長男の大地と、空気を読むなどということはせずに正しいと思ったことを主張する次男の一雪はその点では正反対と言えるかもしれない。
けれど、似ているところもあるかもしれないな。少しだけ苦々しく思いながら一雪は思った。
たとえば、悩むと人にも言えずに自分ひとりで抱え込むところ。そしてそれを外には出していないと思いこんでいるけれど、周りから見たらあからさまに落ち込んでいるのがバレバレなところ。
大地はもう日も落ちて暗くなった部屋で明かりもつけずに机に向かっていた。
「なにしてるの」
「なにも」
机の上に広げてある薄ぺらい本は、この暗さで何の本だか一雪には分からなかった。
「あんまりウジウジされると、気分が悪いよ。母さんも心配するし」
「ほっとけよ」
もともと、この二つ年下の弟は弟のくせに兄の自分に対して全く敬意というものを払わない。さほど年の離れていない兄弟だから多少は仕方ないとは思うけれど、少し油断をするとまるで自分が年上でもあるかのように優位に立っている時があるのはさすがにどうかと思う。
それは、彼が高校を卒業した時から顕著にあらわれはじめた。つまり、自分はいまだに長きにわたって片思いのままで何の進展もないのに対して、一雪は高校を卒業したのと同時に三年の片思いに終止符を打ち、片思いの相手が恋人になった時から。
「少なくとも、この方面に関しては僕は大地よりは上に居る」
兄弟の気安さからか、いつだかそんなことを言われたことがある。
大地は、自分が真琴に対して持っている感情について一雪にしか話をしたことがなかった。
一雪以外には、学校の同級生にも、一番の親友にも言っていない。
「一雪とまこが普通に顔を合わすことはほとんどないだろうから」
というのがその理由だった。
幼いころからクラス委員、学級委員などをやらされる気がいが多かった大地は、なによりも場の空気を保つことを優先して考えるようなところがあった。
自分の感情は抜きにして、クラスのみんながまとまって行動できる方法を選んだ。
だから、「大地はまこの保護者だもんな」と言われれば、「そう」であるように行動した。
真琴が「大地くんはわたしの大事な友達」と言えば、そこから逸脱することだけはするまいといつも自制していた。
そんなわけで、自分が真琴に対してこんな気持ちを抱いていることを、周りに知られたくなかった。それによって、今までうまくやってきていたものが壊れるかもしれないことを、大地は何よりも恐れるのだった。大事なのは真琴との関係だけではなく、そのほかのはば学時代のたくさんの友達とも同じだ。
自分の気持ちや、好き嫌いはいつも二の次だった。そしてそうするのがもう、大地にとっては当然になりつつある。わざわざそうしようと考えるまでもなく、大地の行動はすべて自然とこの方向へ向かっているのだった。
「大地が見たことがない女の子とバイト先に来て、深刻そうだった、って彼女が言ってたけど」
見られていたから、当然話は伝わっているだろうとは思っていた。
けれども一雪の恋人は真琴のことを知らないから、一緒にいた彼女が誰だかは分からなかっただろう。
「それと関係あるよな、当然」
一雪が壁に手を伸ばして、蛍光灯のスイッチを入れた。
急に明るい光が目に入ってきて、大地は目を細めた。それから机の上に広げていたスナップ写真のアルバムをぱたりと閉じる。
「修羅場ってやつ?」
聞かれたから、違うと首を振った。お前には関係ない、と言ったつもりだったけれど、彼女がものすごく心配していたから、そういうわけにもいかないときっぱりと言われてしまう。
その言葉の意味を翻訳すると、「僕はどうでもいいと思っているんだけど彼女が心配するから様子を見に来た」ということだろう。
将来弁護士を目指している割にはドライな奴だ。
「僕は過去のことは忘れることにしているんだ。人間は未来を向いて歩いていく生き物だよ」
一雪は自分の話など聞く気はないらしい。
昔から意に沿わない人の話を聞かないところがあった。その上、自分だって過去のことをくよくよ悩んでいたことがあったくせにそんなことは一切お構いなしだ。
「だから、アレだよ、もうカコは忘れて未来に向かって歩けばいいじゃない。合コンでも何でも行って、新しい女の子を見つければいいじゃない」
大地だったら、女の子もほっとかないだろ。すぐに可愛い彼女が見つかるよ。
……無責任に言ってくれる。
「それができたら苦労はしないだろ。……それができたら中等部のころからずっと一人でいないだろ……」
それもそうだ。一雪は存外軽い口調でうなずいた。
そんな大地も面白かったかもね、モテるのをいいことに、彼女を作り放題。百人切りも夢じゃないね。
「バカなこと言ってるなよ」
「はいはい。まあそれは冗談だけど、っていうか、そんなことできないのは僕もよく知っているし?」
じゃあ言うなよ、と思う。けれどもこの「一言多い」弟にそれは言っても無駄というものだ。
いつも思うのだけれど、一事が万事この調子でよくあの真面目な彼女が今まで愛想を尽かさずにこいつの彼女の座におさまっていると思う。よっぽど相性がいいのか、それともそうは見えないけれど彼女も一雪に負けず劣らず変わりものなのかもしれない。
「まあ、僕たち似てないと思っていたけれど案外似ているところもあるもんだね。……あきらめが悪いところとかさ」
「そんなところ、似てても嬉しくもなんともないけどな」
「たしかに」
「……そんなに好きなのに、どうして告白しなかったの? いくらでもチャンスあっただろうに」
「面と向かって「友達だよ!」って言われるんだぞ。告白なんてする気になれるわけないだろ……」
そうかな。一雪は首をかしげる。
一雪は大地とは違っていた。
大地の空気を読み過ぎる性格は、長男でもあり、「一雪のお兄さんなんだから」と家でも言われていたことにも由来するのかもしれない。その点次男の一雪は幾分甘やかされて育った。
自分の意思で踏み出したステージが今までの環境と百八十度変わっていても、一雪はなんとかする自信がある。だから、自分のしたいことをどうしても押しとおすこともできた。
その結果どうなろうとも、たとえば周りから拒絶されて一人きりになったとしても、それが自分の選んだ道だと開き直るのが一雪だった。
だからこそ、名前しか知らない女子生徒のことを他校の生徒たちの好奇の目にさらされながら校門で待ち伏せのように待つこともできるし、今まで一度も曲を聞いたことがないアーティストのコンサートチケットを死に物狂いで取って、そのアーティストが好きかどうかも知らない女の子とデートの約束をすることもできる。
時に暴走ともとれる一雪の行動力は、大地の目から見れば信じられないようなことばかりだった。
うまくいったからいいようなものの、一歩間違ったら今までの関係をぶち壊しにするようなものだ。
「僕はするよ、告白。しなきゃ先に進めないだろ。このまま一生友達でいいっていうんならそれは構わないけど」
そりゃ、一雪はそうするだろうな。大地はなぜかかなり冷静に考えていた。
友達どころか、一歩後退している今の自分に、何ができるというのだろうか。
一雪に何を言われたって、結局大地に染みついた行動基準は覆りそうもない。
―― 私はずっと大地くんのこと、友達だと思ってた
真琴の声が、今も頭の中にこびりついて離れない。
真琴がそう望んでいるのなら、それで傷つかずにいられるのなら、俺はそれになれるように努力する。……だから。
もう一度、笑ってほしい。
2010/01/10