断りきれない自分を恨め





 小春日和というのはこういう日のことを言うのだろう。
 建物の影や朝晩はさすがに寒さがこたえるようになって来たけれど、日なたにいれば暖かい。
 風もないし、こういう日は学校なんか来ていないで窓越しの日差しを浴びながら縁側で昼寝でもしたいよなぁ。
 ネコか何かを懐に抱いていたら、暖かくて最高だ。
 
 大学のキャンパスを一人でのんびりと歩きながら、大地は年の割にはじじむさいことをぼんやりと考えていた。

 最近は真琴に呼び出されたり、振り回されたりすることもない。それがなければ大地の学生生活など、ほとんど何もないのと同じようなものだ。
 平和といえば見た目は平和なのかもしれないが、だからといってこのままでいいというわけでもない。
 これから世間的にはクリスマスという大きなイベントもやってくるわけだし、それが終われば年末だ。
 例年通りならば年越しだの、初詣だのと称してみんなで集まって、また夜通し酒を飲んだりバカ騒ぎをして過ごすのだろう。
 せっかくの楽しい毎年の集まりに、真琴が参加しないというのはあまりにも寂しいし、そんなことをさせるわけにもいかない。
 首に縄をつけて引っ張っていけばそれで済むのならそうしたいところだけれど、無理やり連れて行ったところで真琴が楽しめないのなら意味がない。
 だったら、大地が参加しなければいいのだろうけれど、それはそれで不自然すぎてそういうわけにも行かない。

(否定ばっかりで……八方塞がりってこのことか?)

 陽気のせいでのんびりした気分とは裏腹に、内心では焦っている。
 このままではいけないと分かっているのに、どうすれば解決することができるのか、それが分からない。


「大地くん」

 後ろからの声に振り向いてみると、同じクラスの――といっても、ほとんど話をしたこともない――女の子がひとり、手を振っていた。
 
「大地くん、ひとり?」
「ああ、そうだけど」
「もし、時間あるんだったら、一緒にランチとかどう?」

 大地は腕時計をちらりと見た。
 今日は、昼休み後の講義を取っていない。だからこそこんな時間までのんびりと昼食も取らずにぼんやりと歩いていたわけでもあるのだが。
 それから、視線を移して彼女のことをちらりと見た。
 本当に、ほとんど話をしたことがないのに、どうして俺なんかに話しかけてくるのだろう。大地は不思議に思う。
 自分が、並の男以上には女の子に「モテるのだ」ということをここの所すっかり忘れている大地だった。

「学食でよければ」
「うん、いいよ。行こう行こう!」

 ふわふわとしたスカートをはいた彼女は、髪の毛もゆるゆるふわふわと頼りなく、大地の答えに飛び上がるようにして笑顔を見せたその顔に、小春日和の日差しが当たってなんだかまぶしく見えた。




 少し昼食のピークからは外れた時間だったからか、学食がいつもよりは空いていたおかげで、日当たりのいい大きな窓に近い席を取ることができた。
 彼女は「女の子にオススメ、カロリーオフランチセット」なんていうのを選んでいた。カロリーを気にするなんて、まさしく女の子がすることらしいけれど、どちらかといえば現実主義的なものの考え方をする大地からすれば、本気で食事制限(ダイエットの本来の意味は食事制限である)をしたいのだったらカロリーオフと謳いながらもしっかりデザートにプリンまで付けてくるような儲け主義のメニューではなくて、ざるそばでも食べればいいのにと思う。

(そんなこと言ったら気を悪くするだろうから、言わないけど)

 自分が人に自慢できるほど性格がいいほうではないことはちゃんと自覚している。だからこそ、その性格が他人に不快感を与えないように気をつけなければならない。大地はそう思う。
 おおむね、大地は自分が思う通りに行動できていると言えた。おかげで、彼の本当の性格を知っている人はほとんどいないだろう。
 赤城大地という男は人当たりがよくて、誰にでもフェアに接することができる根っからの学級委員長気質なのだ、と誰にも思われているはずだった。

 自分の定食セットの乗ったお盆をテーブルに置き、彼女と向かい合う。

「ねぇ、今日はカッコいい服、着てるのね。そういうの、大地くんに似合うと思う」
「そうかな、ありがと」

 あの時、真琴に選んでもらった服だった。
 その辺の量販スーパーで買った服しか持っていない、といったら「それだからダメなんだよ大地くんは!」と一喝された。何がダメなのか、どうダメなのかは具体的には明らかにはされなかったけれど、ようするに安物ばかり着ているから自分には洋服選びについてのセンスが身につかない、と言いたいのだろうと、そんな風に解釈した。
 べつに、そんなものを身につけたいと思ったことはないし、これからも必要だと思うわけではないけれど。
 そして、真琴に連れられるがままに入ったことがないようなショップであれやこれやと試着させられ、結局押し付けられるようにして一式揃えさせられたのだった。

「大地くん、お買い物はいつもどこに行ってるの?」
「どこって、まあ、……その辺だよ。特に行きつけがあるわけじゃないんだ」
「そうなんだ。駅前通りとか、行く?」
「ああ。あの辺の商店街は、アンティークショップがあったり古着屋があったりして、女の子は好きそうだよね」
「そうそう! 私ね、あそこのアンティークショップが好きでよく行くの」
「へぇ」

 当たり障りのない会話は大地が最も得意とするところだ。
 彼女は少し興奮気味に、ランチセットのパスタをフォークに絡ませながらも会話を途切れさせることがない。その話題は駅前商店街のことからアンティークのアクセサリーへと移り、そして宝石の価値と先物取引の話へと至る。
 彼女は、大地と同じ学部ではあるがどうも経済や社会情勢のほうに多分に興味があるようだった。どちらかと言えば、中学か高校の社会科の教師にでもなった方がいいのではないかと大地は余計なお世話であることを承知で思う。
 
「でもね、私どうしても小学校がいいんだよね」

 大地の余計なお世話を聞いて、彼女はそう答えた。

「どうして。中学か高校のほうが楽に免許は取れるじゃないか」
「私、大変なほうが燃えるの!」
「ああ……そう」

 さぞかし立派な志望動機があるのかと思っていた大地は少し拍子抜けした。けれども彼女はそんな大地に気づくことなく胸の前で両手を握りしめている。
 そして、その姿勢と勢いのまま彼女はまっすぐに大地のことを見た。

「私、なんでもそうなの。簡単なことはすぐにできちゃうからつまらない。だって、昔から大抵のことはなんでもできたもの」

 その理屈は、大地にも少しだけ分かった。一流大学に合格するような人間は多かれ少なかれそういう部分があるだろう、と邪推までする。

 天賦の才とか生まれつきの頭の出来とかそういう問題ではなく、つまり、ここにいる人間たちは人よりも要領がいいのだと思う。とりあえず、勉強という分野においては特に。
 大地は自分がその中の一人なので、「努力してもできない」という人間のことは理解しているつもりでも分かってはいなかった。世の中には実はそういう「努力してもできない」人間のほうが多くて、大地たちのような人間はごく少数派であり、だからこそ「エリート」と呼ばれているのだけれど、当事者である大地自身は自分のことをそうたいした人間だとは思えなかった。

 彼女は、言葉を続ける。

「だからね、勉強も、将来の夢も、できるだけ難しいほうがやりがいがあると思うの」
「まぁ……、諸手をあげてとは言わないけれど、概ね賛成」
「ほんと? 大地くんに分かってもらえるなんて嬉しい」

 で、なんの話だったっけ。
 話の筋を立て直そうとした大地は、彼女の次の言葉に度肝を抜かれた。

「恋もそう。なかなか手に入らないからこそアタックする価値があると思うんだ」

 な、なんの話だ?
 二の句が継げない大地に向かって、彼女はお構いなしに続ける。

「私、ずっと大地くんのこと、いいなって思ってたんだ。いつも一緒にいた女の子と最近一緒にいないよね? もしかして、別れた? そうだったら……」

 ちょっとまて、ちょっと待て!
 別れるもなにも、それよりなんだ、最初からそういうつもりで……。
 ぐるぐると大地の頭は混乱し始める。それなのに、自ら「困難なほうが燃える!」と息巻く彼女は次々と畳みかける。

「ねぇ、もし今付き合っている子がいないんだったら、私なんか、どうかな」

 どうかな? もなにも。
 どうして今までこんな簡単なことがすっぽりと考えの中から抜け落ちていたんだろう。
 はっきりそうと言われるまで気がつかないなんてどうかしている。

(この子、単純に俺狙いなだけじゃん!)

 考えてみればどこまでもあからさまだった。一人で歩いていたところに声をかけてくる。食事に誘う、無難な話題から入り、服をほめる。
 そして、適度なところで告白。
 まあ、展開が早すぎるような気がするにはするけれど、その辺は人それぞれなので深く追求しないでおく。
 けれども冷静になって考えればなんともセオリーどおりの展開で、驚くべきことは特になにもない。

 しかし、この展開はまずいだろう、と大地はいまさらながらに反省する。

(最初の時点で断るべきだった)

 いつもならそれが出来たのに。飲み会だろうが合コンだろうが、はたまた集団デートであろうが、普段の大地だったら誘われた時点でだいたいのその会の意図が分かった。
 真琴以外に興味はないし、変に期待を持たせてしまうのも悪い。だから大地は何もかも最初に断ることにしていたのに、やはりこのところ思考能力が落ちているとしか思えない。
 しかしそれは今この状況に対する言い訳にはならない。

(……どうする)

 どうするも何も。
 答えは分かりきっているというのに、なぜか大地は彼女に射すくめられたようにその場で動けなくなっていた。
「困難な方が燃えるの!」
 そんなポジティブな考えを持ったことがない大地の目に、彼女はまぶしすぎる。








2010/01/16

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